たをうえてはんにかえてきつし、きゃくをのべてしょうじょうにねむる
現代文に訳すと田を耕して米を作り、米をご飯にして食べる。食べたら、床の上に足を伸ばして寝るだけだという意味らしい。
日常生活の当たり前を大切にするということのようだ。確かに目の前のことを見ずに先のことばかり
考えたりしてしまうことがある。
禅では生きるのは、そう難しくはないと言っている。禅の究極は何物にもとらわれずに自然体で生きることのようだ。
禅の教えでは日常生活で当たり前のことを、自然に当たり前にすることが、それが最も尊い生き方ということなのだ。
そう考えると何か特別なことをやらなければ、立派なことをやらなければ、認めてもらえるようなことをやらなければなどの重荷からは解放されて心は軽くなる。
目の前の日常を過ごし、生きているだけでも十分尊い生き方だとしてくれたら、なんだかホッとするし、嬉しい気持ちになる。
変哲のない日常、でもその日常生活を一生懸命過ごしている自分を自分自身でもっと認めてあげても良いのではなかろうか。
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